熊本県
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古閑迫
熊本県
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上野
古閑迫について
明治の初期までは、現在の集落の南側、矢形川や八勢川沿いに集落があり、盆地の小さいくぼみの地形から「古閑迫」と呼ばれていました。川には近くても川からは直接水を引くことはできず、水の確保に大変苦労する地域でした。
江戸時代の終わりに木倉手長の惣庄屋であった光永平蔵によって、尾根沿いに井手(用水路)の開墾が進められました。嘉永井手(※1)と呼ばれた木井手ができると、古閑迫の人々は豊かな水を求めて現在の場所へ移り住み、大宮神社を祀りました。
大宮神社の石碑には、当時の様子が刻まれています。
※1
井手の長さは、約28kmになり、なかでも九十折(つづら)トンネル(約873m)の工事は、とても困難な工事だったそうです。井手ができたことによって、地区の生活に必要な水が確保され、次々と井手沿いに移り住んでいったそうです。
寅舞
毎年9月25日に開催される「平蔵祭り(井手祭り)」では「古閑迫の寅舞」が奉納されます。
寅の舞は全国的にも珍しく、その文化的価値から町の無形文化財に指定されており、古閑迫保存会が中心となって受け継がれています。
舞は、道楽(みちがく)、本舞い(ほんまい)、曲相撲(きょくずもう)、興し(おこし)、向山太鼓(むこうやまだいこ)の五部で構成され、虎と「つるこ」と呼ばれる小猿が、テンポの速い太鼓やカネ、笛の音に合わせてからみながら舞う姿は、とてもユーモラスなのが特徴的です。
舞の起源は、井手沿に移り住んだ当時、
「取り残されたのが氏神(うじがみ)の大宮神社。ほっといたら神罰(しんばつ)があたる」
と住民たちが恐れ、神社の転居を計画し、その浄財(じょうざい)集めに「寅舞」を起こした。」(「御船風土記」 御船町教育委員会 1987年)と伝えられています。
無事に氏神移転の大役を果たした「寅舞」は、「寅舞」が来ると雨が降ると言われるようになったことから雨乞いの踊りとして舞われるようになったそうです。
photo by 御船町地域おこし協力隊 上地隊員
photo by 御船町地域おこし協力隊 上地隊員
第二次世界大戦後「寅舞」の奉納は途絶えましたが、昭和34(1959)年4月1日の町村合併の祝賀会の会場で一度披露されました。
その後、昭和40(1965)年をすぎる頃、このままでは「トラ」は起きないぞと話が出始め、昭和43(1968)年に再起することとなりました。
昭和45(1970)年、御船町立七滝中学校の校舎落成式出演を皮切りに、毎年の井手祭りで「寅舞」を奉納するだけでなく、御船町のがあーっぱ祭りや文化祭などにも出演しています。
12年に一度の寅年は特別に…
元旦
寅をおこし
新年の門出を祝い
舞い奏でます
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どんどや
近くの竹林から切り出した青竹等で櫓を組んで茅や藁、正月飾りなどと一緒に燃やして一年の無病息災を願う小正月行事。各家庭オリジナルの竹竿に鏡餅を挟んで焼き上げたら、お互いにわけながら食べます。
少しずつ燃えゆくどんどを眺めながら、老若男女で日暮れまでゆっくりと皆で過ごすので、絆が深まってゆくことを感じるひとときです。
桃の節句・端午の節句
古閑迫盛り上げ隊(有志メンバー)による企画行事。
大宮神社本殿にお飾りを設置し、竹の器に盛り付けた女性部お手製料理で、地域住民のおもてなしをします。
はつかまつり
毎年開催される古閑迫住民にとって一番賑やかな行事。
かつては収穫した作物を持ち寄り自然の恵に感謝し日々の暮らしを労う機会として始まった集落の秋祭りです。
まつりの前日には、男性たちは神殿や境内を、女性たちは供物や料理の準備を行います。神社で使用するしめ縄や飾り類はこの時新調するため、稲藁や道具を持ち寄り、協力し合って作り上げます。
まつり当日、最近は各家庭で作ったお重を持ち寄り女性部による豚汁やのっぺ汁の振る舞いやビンゴ大会が開催されるようになりました。
江戸時代から続く慣わしは、形を変えながらも今も大切に受け継がれています。
photo by 御船町地域おこし協力隊 上地隊員
photo by 御船町地域おこし協力隊 上地隊員
photo by 御船町地域おこし協力隊 上地隊員
竹灯会
地元で切り出した竹を使って、灯を飾る活動をはじめました。
古閑迫への入り口のひとつ「凱旋門」では色とりどりのイルミネーションがメインに施されています。12月下旬の土曜日になると、灯を楽しむ会が開催されます。
年末年始には、大宮神社で竹筒にデザインを施した灯籠を参道にいくつも並べ、お詣りされる方々に喜んでいただけるような取り組みも行っています。
photo by 御船町地域おこし協力隊 水口隊員